こんにちは。
神奈川県鎌倉市の社会保険労務士をしている北村です。
年齢について他人に尋ねるのは、なかなかデリケートな時代です。
場合によってはハラスメントを受けたと感じる人もいるでしょう。
でも僕には年齢が気になって仕方がない人物がいます。
宮城谷昌光先生の名作『重耳』
誰の年齢が気になるかと言えば、宮城谷昌光先生の小説『重耳』に登場する郭偃という人物です
重耳(晋の文公)は19年の流浪の果てに晋の君主となり、大国である楚を破った人物で、春秋五覇の一人に数えられます。
重耳について興味がある方は、宮城谷昌光先生の小説をお読みください。
欲が消えることで表れるものがある
郭偃は重耳の師です。
この郭偃という男が実に魅力的なのです。
当初は出世欲に燃えていた郭偃ですが、あまり評判のよくない第二公子、重耳の師に任命されたことにより、出世コースから外れます。
出世コースから外れたとにより、郭格の人格から灰汁のようなものが消え、広がりが生まれます。
家臣からの評判に傷ついた少年時代の重耳にかけた郭偃の言葉に、彼の純粋な優しさが感じられます。
「公子よ。ご自分の名をお考えになったことがありますか。公子のご命名のときに、わたしがお手伝いをいたしました。重の字を選びましたのは、わたしです。申生さまの名もわたしが答申いたしたのですが、いまとなって考えますと、公子の名のほうがふくよかです。重とは、廟に立つ木の人形ですが、ご先祖の福を、その人形が一身に受けるのです。おそらく公子は、ご先祖の加護を、ほかのどなたより、さずかることになりましょう。」
宮城谷昌光 著『重耳(上)』 (講談社文庫)
なんと優しい言葉でしょうか!!
出世欲や権力欲に囚われた人物が重耳の師であれば「悔しかったら学問に励め!!」とか「武芸に励め!!」といった類の言葉を投げつけると思います。
しかし郭偃は違います。
重耳のありのままの姿、存在それ自体を認める暖かい言葉をかけます。
郭偃が出世を諦めたことは、重耳にとっても、そして郭偃本人にとっても幸いなことだったのではないでしょうか。
欲が消えることにより、郭偃の秘めた人格の高潔さが表れたのです。

郭偃の年齢をめぐる考察
僕が気になって仕方ないのは、この郭偃の年齢です。
Wikipediaでは、重耳が生まれたのは紀元前696年、死去したのは紀元前628年となっています。
696-628=68なので、重耳は68歳で亡くなったことになります。(重耳は70歳で亡くなったという記述を見た気がするのですが、これは数え年なのでしょうか?歴史に自信がある方、お教えください)
重耳が亡くなったとき、郭偃はまだ生きています。
となると、郭偃はこのとき一体何歳だったのか?
気になって夜も眠れません。
重耳の師であることから、郭偃は重耳より年上であることが考えられます。
少なくとも20歳は年上なのではないでしょうか?
前出の「公子よ。ご自分の名をお考えになったことがありますか。」のセリフから、郭偃は重耳、そして重耳の兄である申生の命名に関わったことが分かります。
つまり、申生や重耳が生まれるときに、郭偃は晋の君主または太子からの諮問にあずかる立場にあったわけです。
重耳の名前について諮問をうけたときに、郭偃が20歳未満ということは考えにくい。
おそらく25歳から30歳くらいだったのではないでしょうか。
重耳は68歳で亡くなったので、郭偃が重耳より20歳年上だとすると、このとき88歳!!
25歳年上だと93歳。
30歳年上だと98歳。
う~ん・・・、郭偃が健康だったとしても、98歳まで生きられるでしょうか・・・。
一つの名しかない僕たち
郭偃の年齢についてあれこれと創造するのは僕くらいかもしれませんが、それだけ郭偃というキャラクターが魅力的なのです。
最後に、大国である楚との戦いに赴く重耳に向けた郭偃の言葉を紹介します。
宮城谷昌光先生の小説は名言の宝庫ですが、この言葉はその中でも屈指のものだと思います。
「郭偃の寡言によって、武公は晋を統一できた。わしがめでたく帰国できたら、なにをつかわそうか」
「なにも要りません。君が偉業をなせば、わたしにはおのずと名誉があたえられます」
「どんな名誉か」
「君の師であった、という名誉です」
「郭偃は昔からわしの師であった。そのことは、いまさら彰かにせずとも、たれもが知っておろう」
「いいえ。名誉は人からさずかるものと、天からさずかるものとがあります。師は師でも、ちがいます。そのことは君にもいえます。重耳という名はおなじでも、人から名づけられたものと天から名づけられたものとがあるということです。まだ君には一つの名しかありません」
「そうか。この戦いは、あらたな名を天にねだりにゆくようなものだな」宮城谷昌光 著『重耳(下)』 (講談社文庫)
郭偃の「一つの名しかありません」という言葉は、まだ人間として成長する余地があるという意味だと僕は受け取りました。
何歳になっても郭偃は重耳の師なんですね。
大きな試練に立ち向かう重耳を激励する、温かい気持ちが感じられます。
本の中にも師は存在する
さてさて、僕みたいな凡人でも、天からもう一つの名をさずるかるときが来るのでしょうか?
どうもそんなときは来ないように感じます。
なんのために生きているかも正直よく分からないですしね。
僕にも郭偃のような師がいたら違ったのかもしれません・・・。
すこし弱気になりましたが、教えを乞うべき師がいないことを嘆くことはないと最近は思うようになりました。
師は本の中もいます。
この先の人生でなにか困難に遭ったときは、『重耳』を読み返し、本の中の郭偃から教えを授かりたいと思います。
あなたに師と呼べる存在はいますか?
もしいるなら、それはとても幸せなことだと思います。

