こんにちは。
神奈川県鎌倉市で社会保険労務士をしている北村です。
今さらながら岩波文庫の『史記列伝』を読み返しています。
中でも『刺客列伝 第二十六』に登場する予譲と趙襄子のエピソードが、深く胸を打ちました。
士は己を知る者のために死す
予譲は、自分を軽んじた范氏・中行氏には「並のもの」として仕え、一方で自分を「国士」として遇してくれた智伯には、命を賭して報いようとします。
以下は予譲の言葉です。
范氏・中行氏はどちらもわたくしを並のものとしてお扱いになった。
わたくしはだから並のものとしておこたえしました。
智伯さまとなりますと、わたしを国士(一国で傑出した人物)として待遇してくだされた。
わたくしはだから国士としておこたえしたいのです
司馬 遷 (著) 小川 環樹 (翻訳) 岩波文庫『史記列伝 2 』~刺客列伝 第二十六~

史記列伝 二 (岩波文庫)
中国最初の史書「史記」の最後に置かれた70の列伝.宰相,武将,循吏,酷吏,刺客,侠客,素封家等,司馬遷は貴賤を問わず〈正義を保持し,ひとに屈せず,機を失わずして世にあらわれた人々〉をとりあげ,それぞれにしたたかなこれらの人間の生きざまを,躍...
予譲は主君・智伯の仇討のため趙襄子を襲いますが、趙襄子は予譲の心に義を見て取ります。
まさに予譲は「士は己を知る者のために死す」体現しました。
『管・晏列伝 第二』にも「君子は己を知らざる者には屈し、己を知る者に志を伸ぶ」という言葉が出てきます。
人として生まれたからには己を知る者のために生きたいものです。
現代を生きる私たちにとっての「己を知る者」とは?
予譲の忠義は、主君への恩に応えるものでしたが、現代を生きる私たちにとっての「己を知る者」とは自分自身なのかもしれません。
常識、社会通念、世間の目、親や上司からの期待、経済状況など、私たちはいろいろなことを言い訳にして自分自身の夢や目標をないがしろにしてしまいがちです。
自分の夢や目標に誠実に応える生き方こそが、現代の「義」なのではないでしょうか。
予譲の考えとは異なりますが、私はそんなふうに思いました。

