「社員との関係が円満なら、就業規則なんていらない」
そんな声を聞くことがあります。けれども、果たしてそれは本当でしょうか?
⼀つの事業所で労働者数が10⼈以上となる場合は、就業規則を作成するよう労働基準法で定められています。(労働基準法第89条)
私は社員数が10⼈未満であっても就業規則を作成することを勧めています。
その最大の理由は、問題を起こした社員を懲戒するにはあらかじめ就業規則に懲戒の種別と事由を記載しなければないからです。
ところが、よく就業規則は不要であると考えている経営者に出会います。
そうした⽅はたいてい次のような理由から就業規則は不要であると考えているようです。
- 今までに労使間の争いが起きたことがいない
- うちの会社に労使間のトラブルが起こるはずがない
- 社員に就業規則について聞かれたことがない
- ⾏政から就業規則を作成するよう求められたことがない
徳があれば法は無用?春秋左⽒伝を読んでみる
法律と国民の関係について、春秋左⽒伝に法おもしろいエピソードが載っています。
鄭の国で刑法を鋳込んだ鐘を作りました。
晋の政治家である叔向はそれを⾮難する書簡を鄭の政治家である⼦産に送ります。
書簡には次のことが書かれていました。
法律ができたことを知れば、⺠はお上を敬わなくなるでしょう。
誰もが争い⼼を抱いて、条⽂を根拠にして、抜け道でうまくやろうと考え、治めきれなくなるでしょう。
〜中略~
争う根拠を⺠が知るようになれば、礼などかなぐり棄てて条⽂を引き、⼀字⼀句の末まで争い合うでしょう。
⼩倉 芳彦 (翻訳) 岩波⽂庫 『春秋左⽒伝〈下〉』
書簡の中で叔向は「徳があれば法は無⽤だ」とも述べています。
私たちは英雄でも聖⼈でもない
叔向は書簡の中で徳による政治の例として周の⽂王の政治を挙げています。
周の⽂王には次のようなエピソードがあります。
むかし虞の国と芮の国の間に争い起こり、⼆国の君主は周の⽂王に裁決してもらおうと周の国へ⾏きました。
周では⽥を耕す者も、道を⾏く者も皆が譲り合っていました。
その様⼦を⾒た⼆国の君主は反省し、争いを⽌めたそうです。
なるほど、周の⽂王のような聖⼈であれば、徳による政治を⾏うことができるかもしれません。
しかし私たちのほとんどは聖⼈でも英雄でありません。
ただの凡⼈です。
聖⼈でも英雄でもない私たちが平和に⽣活するには法律や規則の⼒を借りる必要があります。
明確に、オープンに、曖昧さを減らすことで労使間のトラブルを防ぐ
労務トラブルの多くは誤解やコミュニケーション不⾜に起因すると考えています。
- もらえると思っていた⼿当がもらえなかった
- 休⽇だと思っていた⽇が出勤⽇だった
- 経営者が期待する能⼒を労働者は持っていなかった
会社側と社員側の誤解が⼤きくなると争いに発展します。
こうした誤解は就業規則や雇⽤契約書に労働条件を記載することによって減らすことができます
もちろん労働条件の全てを文章とすることは難しいでしょう。
あいまいな部分、想定していなかった事態は必ず出てきます。
そのようなときは、会社としてどう対応するのかよく検討し社員に伝えます。
こうした誠実な態度は”徳”を積むことにも繋がるのではないでしょうか。
法と”徳”は必ずしも対⽴するわけではないと私は考えます。
法に対して無防備であることは⼤きなリスクを抱え込むことになる
私たちは⽇本で⽣活しています。
⽇本で⽣活している以上、⽇本の法律を無視することはできません。
叔向が⾔うような”徳”による経営を⾏っていてもです。
労働基準監督官の⽴ち⼊り調査で就業規則の提⽰を求められたときに「わが社は創業以来、社員を家族のように慈しみ、労使間のトラブルが起こったことは⼀度もありません。ですから規則など必要ないのです」と⾔っても、きっちり是正報告書または指導票を交付され、就業規則の作成と労働基準監督署への届出を求められます。
⼦産は叔向のアドバイスを聞き⼊らなかった
さきほどの春秋左⽒伝のエピソードの続きですが、⼦産は叔向のアドバイスを聞き⼊れませんでした。
叔向の書簡に対する⼦産の返事を⾒てみましょう。
吾⼦(あなた)のお⾔葉に従おうにも、僑(わたくし)はふつつか者。
⼦孫のことまで考え及べません。
吾(わたし)はこれで当世の⼿当をします。
お⾔葉は受けかねますが、ご厚意は忘れません。
⼩倉 芳彦 (翻訳) 岩波⽂庫 『春秋左⽒伝〈下〉』
この⾔葉には「余計なお世話だ」という⼦産の気持ちが込められているような気がして、おもしろみを感じます。
さて、今回の結びとなりますが、就業規則にはトラブルは会社を守る盾の役割がありますが、使い方によっては会社の徳を示す道具にもなります。
社員との信頼関係を築くためにも、まずは自社の規則を見直してみませんか。

